【孟子】性善説の根拠とは?

こんにちは。本宮 貴大です。

「人間の本性は、善か、悪か?」

あなたはどちらだと思いますか?

これは言い換えると、「人間に道徳教育は必要か否か」という問いにもなるでしょう。これを知ることで、今後の人材育成や自己成長に役立ち、さらには人間の本質にも迫ることが出来るでしょう。

この問いに対し、儒家の思想家である孟子荀子がそれぞれの立場で教えを展開していました。

今回は、そんな孟子の思想を見ていきながら、性善説について考えてみようと思います。

「人に忍びざるの心」

これは孟子の言葉ですが、彼は、人間は生まれながらに善なる心を持っているとする性善説を支持しました。孟子によると、人間は学ばなくても出来る能力(良能)、思慮しなくても知れる能力(良知)を持っており、それらは後天的に身につけるものではなく、生まれつき備わっている先天的道徳心だとしました。

 

孟子は、人間の善なる心は「天」より与えられたものであるとしました。「天」というのは、宇宙の原理や支配者のことをいい、西洋でいう「神」のようなものです。

其の性を知れば、則ち天を知るべし。

人間は自己の本性を省みることで、「天」の声を聞くことが出来るという意味です。「反省」という言葉は、孔子やその弟子たちも使っていた言葉ですが、孟子はもっと強い意味を持たせていました。孟子は、「反省」とは、「天」の声を聞く神聖な行為であるとしました。

行いて得ざる者あれば、皆諸を己に反求す。

例えば、何かの競争に負けたとき、自分に勝った相手を憎むのではなく、自分に欠点があったのではないかと考えてみる。何か思い通りにいかなかったとしても、その原因は自分にあるのではないかと反省してみる。すると、「天」の声があなたを導き、高い道徳心を持った理想的な人物(大丈夫)に一歩近づくことが出来るというのです。

 

誠は、天の道なり。

孟子は、天の道は誠(まごころ)であるとしました。天に裏付けされた「誠」で他者に尽くせば、他者はあなたに感動し、やがて「誠」で返してくれることだろう。「誠」は他者にも伝染していくのです。そんな「誠」の存在を人々が自覚し、互いに実践していけば、中国は「誠」のエネルギーで満ち溢れ、天に近い国になるであろう。孟子はそれを浩然の気(天地に充満する強い気)とし、孟子は、中国の統一を、人々が自ら発揮する道徳心によって実現しようとしたのです。

このように孟子性善説は、天を根拠としたものであり、天によって保証された心であるとしました。

 

では、そんな「天」によって与えられた善なる心とは、どのようなものなのでしょうか。孟子は、人間は生まれながらに四端という4つの心を持っているとした。端というつくりには、芽生えたばかりの植物の意味が込められています。

1つ目は、他者の不幸や悲劇に同情する心(惻隠の心)。2つ目は、不善を恥じ、悪を憎む心(羞悪の心)。3つ目は、へりくだって譲る気持ち(辞譲の心)。そして4つ目は、善悪の判断基準を持つ心(是非の心)です。これらを育てていくと、それぞれ「仁」、「義」、「礼」、「智」という4つの徳が完成し、大丈夫への道が開かれるとしました。

 

では、なぜ人間の中に盗みや不正などの悪行をする者が現れるのだろうか。彼らは反省というものをしていないのだろうか。孟子によると、「人間の心は普段、欲や感情に覆われており、自らに宿っている道徳心を見失っているのだ。」としました。さらに孟子は「豚や鶏が逃げ出せば、皆必死になって探そうとするのに、見失った自らの道徳心は探そうともしない。」とその世相を嘆きました。

ならば、法律や刑罰によって人々を厳しく取り締まればよいだろうと考える方もいるかもしれません。しかし、孟子は法律や刑罰だけでは根本的な解決にはならないとしました。これは孔子も同様のことを言っています。たとえ法律で禁止したとしても、必ずそれをかいくぐろうとする者が現れる。そうなると、誰も他人を信用出来なくなり、社会はかえって混乱する。

それよりも、人々が能動的に善を実践していくように教えを説き続け、見失った道徳心に目覚めてもらうことで、お互いを信頼出来る秩序ある国が実現するのだとしました。

 

今回は孟子の思想を見ていきましたが、反省という行為は、私達の良心によって行われることではないでしょうか。孟子は、「反省」という行為を「天」の声を聞く行為だとしましたが、「良心の呵責」という言葉もあるように、私達は悪行をした後に罪悪感を得ることがあります。それは「天」が私達に自己を省みるように訴え、その行動を改めさせようとしているのではないでしょうか。

こういうと、スピリチュアルな話に聞こえますが、孟子は「反省」を「天」の声を聞く神秘的な行為とすることで、人々に天の恵み、すなわち希望の光を与えたかったのかもしれません。