【ソクラテス】「産婆術」と「無知の罪」について

こんにちは。本宮 貴大です。

 

ソクラテス以上に優れた者はいない」

これは予言の神・アポロン神を祀るデルフォイ神殿で述べられた神託(神のお告げ)です。これを聞いたソクラテスの知人は早速、ソクラテスにこのことを伝えました。これを聞いたソクラテスは当初、「そんなことはない」と思いました。しかし、デルフォイの神託は絶対です。彼は神託の本当の意味を確かめるため、アテネ市民の中から、自分より知恵のある者を探しました。

ソクラテスは、アテネの堕落はソフィストたちの人間中心主義が招いたものだとして批判しました。ソクラテスの思想は、ソフィストとどのような違いがあるのでしょうか。今回はそれを見ていきながら、ソクラテスの産婆術についてみていこうと思います。

ソフィスト

ソクラテス

弁論術

産婆術(対話法)

教える

育てる

豊富な知識を持つ

無知の知

真理は相対的である

絶対的な真理を求める

 

 紀元前469年、ソクラテス古代ギリシアアテネに生まれました。父は石工で、母は助産婦でした。ソクラテスは顔が非常にブサイクだったようですが、幼い頃から好奇心旺盛で、自然哲学に熱中していたようです。当時のアテネでは、将軍・ペリクレスの指揮のもと、民主政治が全盛期を迎えていました。18歳以上の男子であれば、誰でも政治に参加できる直接民主政が完成しました。

 アテネパルテノン神殿を根拠地に町が造られ、その中心部にはアゴラという市民の公共広場があり、民会や法廷、市場として利用されました。民会では、自らの意見を論理的かつ雄弁に語り、人々を説得できた者は、その意見を政治に反映させることが出来ました。

 そこで、報酬を貰って弁論術を教える職業教師(ソフィスト)が現れました。賢者を意味するソフィストは、大変豊富な知識を持っており、アテネだけでなく、ギリシア各地を回って弁論術を教え、謝礼金を貰っていました。

 

 ソフィストを雇う人達の中には、「立身出世のためなら、たとえ自分が正しくない主張であっても、相手を説得できるような雄弁さが欲しい」というニーズが高まりました。そこで詭弁術などを教えるソフィストも現れました。詭弁術とは、虚偽であっても真理のように見せかける話術のことですが、手段と目的が逆になってしまう現象が起きてしまいました。

 ギリシアを遍歴したソフィストたちは、全ての生物のなかで人間のみが物事を判断する基準を持っているとする一方で、法律や規範、道徳などは、地域や民族、人種によって異なるとしました。つまり、物事の判断基準は、一人一人の人間のとらえ方や感じ方にあるとする相対主義を唱えたのです。

 彼らの代表格であるアブデラのプロタゴラスは「人間は万物の尺度である(人間中心主義)」と述べ、これにソフィストたちは概ね合意しました。

 ソフィストたちは、ギリシアの人々を過去の因習から解放すると同時に、極端に個人の考え方や価値観を重視する人間中心主義へと向かわせてしまいました。人々は互いに勝手気ままに行動するようになり、時には不正や盗みなどの法や規範に抵触する行為も見受けられました。

アテネはにわかに衆愚政治へ傾倒していきました。

 これをソクラテスは、強く批判しました。現在のアテネの堕落はソフィストたちが招いたものだとしたうえで、人間社会には、地域や民族に共通する絶対的な真理が必ず存在すると説きました。

 

 この頃、ギリシアではペロポネソス戦争が起こりました。この戦争は、アテネデロス同盟の運営資金に着服していたことが明るみに出て、これに反発したスパルタなどの各ポリスがギリシアに圧力をかけたことから始まりました。この戦争にソクラテスも重装歩兵部隊として出陣しました。

 当初は優勢だったアテネでしたが、ペリクレスが病死したことで、士気が低下、戦争は膠着状態に陥り、ギリシアの諸ポリスは国力を低下させていきました。

 一方、武功を挙げたことで、戦線から離れることを許されたソクラテスは、その後、アテネ社会で奇妙な振る舞いをしました。彼はアテネの政治家や作家など、知識人とよばれる人達に、だれかれ構わず話しかけたるようになったのです。

 ソクラテスの対話は、相手の論理の矛盾点を暴き出すもので、相手自身に知っているというのは、実は思い込みであることを気づかせるものでした。しかし、ソクラテスは決して相手を否定したり、からかったりすることが目的ではなく、それまで相手が知らなかった新しい知恵に気づかせることにありました。同時に、相手に無知を自覚させることで、より知恵のある人間へと成長させる機会を与えるという積極的な働きかけでした。こうした働きかけを、出産を援助する助産師に喩えて産婆術(対話法)といいます。

 

 また、ソクラテスは知識人たちに「正義とは何か?」、「勇気とは何か?」、「友情とは何か?」という人間として大事な真理についても問いかけました。

 その結果、わかったことは、彼らは自分には知恵があると思い込んでおり、他人からもそう思われているが、人間として大事なことを知らない。そればかりか、知らないのに知ったようなフリさえしている。

 一方、ソクラテスは知らないことを知っているという点で、彼らより優れていると感じました。人間の持ちうる知識など神から比べれば無にも等しい。だからこそ、人間は絶えず無知を自覚し、知恵を追い求める存在でなければならない(無知の知)。ソクラテスは、「自分は無知で、他のソフィストのように豊富な知識を教えることなど出来ない。」とし、謝礼金をもらうことは一切ありませんでした。

 

 ソクラテスは、生涯を通じて無知を自覚しながら、知恵を探求しいったからこそ、「人間として大事なこと」に気が付いたのです。

 では、そんなソクラテスが知った「人間として大事なこと」とは一体どのようなものなのでしょうか。次回をそれについて見ていこうと思います。

 

 ソクラテスの産婆術は、もしかすると究極の人材育成法なのかもしれません。実際にソクラテス式問答法は、大学の法学部などで教授たちが採用している指導法です。ただ知識を教えるだけでは、生徒は教師以上の知識を持つことは出来ません。それよりも、生徒自身に無知であることを自覚させた方が、教師以上の人材へと成長していくことが出来るのではないでしょうか。また、人間は並み以上の知識も持つと、つい傲慢になり、それ以上の成長が期待出来なくなります。知らないことを知っているという謙虚な姿勢を持つことが自己成長の基本姿勢でもあるのです。