【プラトン】イデア界ってどんな世界?

こんにちは。本宮 貴大です。

「将来は、アイディアを形にする仕事に就きたいです。」

私も大学生の頃、そんなことを思っていました。

「こんな物があったら、もっと便利なのになぁ」

私達の身のまわりにある商品・サービスは、そんな‘空想(アイディア)‘から生まれたのではないでしょうか。

アイディアとは、「理念」とか「想念」などと訳されますが、頭の中では既に成立している‘空想‘のことをいうのではないでしょうか。

このアイディア(idea)こそ、ギリシャ語の「イデア(idea)」が由来となっています。‘空想‘という言葉が出てきましたが、仏教にも‘空‘という概念があります。この‘空‘も、イデアとほとんど同じ意味だと思われます。

今回はその「イデア」について考えてみようと思います。

 

イデアを提唱したのは、古代ギリシャの哲学者・プラトンでした。プラトンギリシャの裕福な家に生まれ、幼い頃から英才教育を施されていました。当時のギリシャでは、最高峰の職業は政治家でしたが、プラトンも当初、政治家を志望していました。しかし、師匠であったソクラテスの刑死に衝撃を受け、哲学者としての道を歩むようになりました。誰よりも正しくあろうとしたソクラテスを死に追いやってしまったアテネの堕落ぶりにプラトンは大きく失望しました。プラトンは、アテネ市民の不正を正し、アテネを理想国家へと導こうとしました。そのため、アテネ郊外に学院アカデメイアを開き、次世代の政治家の育成や、教育に力を入れました。 

 
   

f:id:miyamotohirotaka:20210711120701p:plain

まず、私達が住んでいる現実世界とは、どのような世界なのでしょうか。目で見ることが出来る世界、

耳で聞くことが出来る世界、

肌で感じることが出来る世界など・・・。

現実世界とは、このような五感(感覚)で捕らえることが出来る世界のことをいいます。

 

一方、プラトンイデア界は、第六感(精神)で捉える世界のことをいいます。この第六感を、‘精神‘や‘心‘と言い換えても良いかも知れません。

第六感なんていうと、オカルトっぽく聞こえてしまいますが、実は私達の生活は、第六感によって支えられていると言っても過言ではありません。

たとえば、なぜ私達は小説の世界に入り込んでしまうのでしょうか。

目で見ているのは、活字そのものであって、実際に体験をしているわけではありません。ですが、私達の第六感が想像力を働かせて、疑似体験をしているのです。

その他にも、スピーカーから流れ出る音楽でノリノリになったり、大迫力の映画を見て、思わず身体がのけ反ってしまうこともありますよね。

また、それこそオカルトの話ですが、写真に人の顔のようなものが映り込んでいた時、これを心霊写真だと思い込んだりするのも、第六感の働きによるものです。もっと身近な例でいうと、適当に三本の線で結んだ図形を、皆が「三角形」と認識できるのも、第六感の働きによるものです。

さらに、危険予知や危機管理能力も第六感によって支えられています。

たとえば、道路の真ん中で遊んでいる子供達を見て、大人が「危ないよ!」と注意することがあります。これも第六感が、この後、起こる(であろう)最悪なシナリオを想像しているからです。その他にも、シミュレーションやイメージトレーニングも第六感によるものです。

 

このように私達の生活は、第六感(イデア)によって、豊かな暮らしや、安心安全が実現されているのです。

 

さて、精神世界の話になりましたが、実はイデア界とは、科学的にも既に証明されています。イデア界とは、科学的には情報空間と呼ばれたりします。

私達の住んでいる物理世界は、0~3次元までが存在する「空間」です。20世紀の物理学者であるアインシュタンは、ここに「時間」の概念を加えて4次元としましたが、実は5次元以降も存在することが彼によって証明されました。(いわゆるE=mc^2ですが、詳しくは量子論を学んでみてください。)

この5次元以降を、現代では情報空間と呼んだりします。情報空間は、時間を超越しているので、過去の膨大な経験(データ)を保存し、必要に応じてそれを取り出すことが出来ます。熟練の大工が、ミリ単位の寸法で材木をカットすることが出来るのも、過去の膨大な経験が蓄積されているからです。

先ほど、道路で遊んでいる子供達を、大人が注意する例を出しましたが、子供は過去の経験が浅いので、危機管理能力が低いのです。

しかし、当時のギリシャを生きたプラトンは、この経験の蓄積を、単に思い出しているだけだとしました。私達は生まれる前、イデア界に住んでおり、全てを熟知した完全な魂が、この世に生まれると同時に、肉体という牢獄に閉じ込められたことで、その記憶を忘れてしまったのだと。

 

現実世界にあるものは、絶えず生成消滅をしています。美しく咲いた桜は、1週間程度で散ってしまいます。しかし、イデア界にある桜は、永遠不滅なため、私達はいつでも咲いた桜を思い浮かべ、美しいと感じることが出来ます。

なぜ、現実世界のものは、こんなにも儚いのでしょうか。それは、現実世界のものは、イデア界のものを模倣したコピーでしかないからです。私達は、イデア界にある原型や模範を追い求める理想主義の一面もあります。

プラトンは、現実世界に住む人々を洞窟に閉じ込められた囚人に喩えています(洞窟の比喩)。その囚人は洞窟の入り口に背を向けて座っており、入り口付近には松明が燃えているため、その前を物体が通ると、洞窟の壁に影が出来ます。囚人はその影を真実だとだと思い込んでいるとしました。

しかし、プラトンは、洞窟の外から出て、全てが太陽に照らされたように光り輝く世界に目を向けるべきだとしました。その世界こそがイデア界であり、そこにある物事が真実であるとしました。すなわち、精神の目で物事を見るようにするべきだとしました。

 

現代、私達は大変便利な生活をしています。例えば、通信技術とグルーバル化の発展によって、世界中のどこでも瞬時に取引が出来るようになり、また、スマートフォンがあれば、いつでもどこでも情報を得たり、誰かと話したりすることも出来ます。もはや空間と時間の概念がなくなっています。

それは「こんな物があったら便利なのになぁ」という人間のアイディアが形として現実世界に生み出してきた結果だと思います。つまり、イデア界の中に新たな商品・サービスのヒントが隠されているのではないでしょうか。

私達は、時代と科学技術の発展によって「イデア界」を実現しているのかもしれません。