【アダム=スミス】神の見えざる手の本当の意味とは?

こんにちは。本宮 貴大です。 

 アダム=スミスといえば、著書『国富論』で述べている「神の見えざる手」というイメージが強いです。「神の見えざる手」とは、国家が経済活動に介入することを極力避け、自由な市場経済に任せていれば、需要と供給によって適正な価格と需給量が必然的に決まるということです。それがあたかも神様が手を下して決めているかのように思えることからそう名づけられました。

 以上が世間でよく知られている「神の見えざる手」の解釈です。

 しかし、この解釈だけでは、大きな誤解を招いてしまいます。実際、私がお会いした経営者の中にも、「神の見えざる手」を引用し、「自由な経済活動をしていれば、結果的に社会は豊かになる」とおっしゃていた方がいました。

 

 しかし、アダム=スミスが『神の見えざる手』で示したのは、「国家が特定の企業のみに市場を独占する権限を与えてはいけない」ということです。

 アダム=スミスは18世紀のイギリスの人物ですが、18世紀のヨーロッパでは、国家が特定の企業や商人に独占権を与え、その代わりに国家に多額の税金を納めさせるということが頻繁に行われてきました。

 独占権を与えられた企業は競争相手がいないため、価格を自由に設定出来ます。すると当然、企業は価格をつり上げ(独占価格)、国民は非常に高い価格でも商品を購入しなければならなくなります。

 東インド会社はその代表例と言えるでしょう。東インド会社とは、17世紀初頭にオランダやイギリス、フランスなどの西欧諸国が国王の勅許のもとに設立された貿易会社のことです。国家から独占権を与えられた東インド会社は植民地から獲れる資源や農作物の全てを独占し、イギリス本国に送られてくる産品は全て独占価格で売られ、国民は高い価格でも産品を購入しなければなりませんでした。

 一方、イギリス本国から植民地への輸出は制限されたため、植民地の住民たちは、西欧の商品を高い価格で購入しなければなりませんでした。

 イギリス政府も「国を富ませるため」、「軍事支出の捻出のため」という一見まともな言い訳を使い、「貿易独占」と「輸入規制」をすることで国内の企業や商人の権益を保護したのです。しかし、国民の生活は大ダメージを受けます。

 商人からすれば、市場を独占できるほど美味しい話はありません。国家の経済介入を望んだのは、むしろ商人でした。商人たちはあらゆる手を使って市場を独占しようとしました。そのために最も確実な方法は、国家とタッグを組み、法律や規制を作ってもらい、その独占権を認めてもらうことでした。

 アダム=スミスはこれを強く批判し、「神の見えざる手」を示すことによって、国家が商人達に市場の独占権を与えることを禁じたのです。

 

 アダム=スミスは『国富論』の中で、「独占は絶対悪」だと繰り返し述べています。しかし、既に独占権を認められている商人からその権限を奪うことは実際には不可能だともしています。既得権益者は、権益を奪われそうになると、あらゆる手段を使って抵抗しようとするからです。したがって、アダムスミスは、せめて今後は、国家が商人に独占権を与えることがないようにしなければならないと結論づけました。

 

 今回はアダムスミスの『神の見えざる手』について、解説してみました。

 いかがでしたでしょうか。世間で認知されている『神の見えざる手』とは、かなり異なった印象が出たと思います。これはまさに現在の独占禁止法そのものです。

 当時のヨーロッパでは、商人が国家とタッグを組んで暴利をむさぼることは当然のように行われてきました。独占禁止法など整備されていない当時、国民はそれに従わざるを得ませんでした。その解決策として、アダムスミスが提唱したのは「国家は経済活動に介入せず、市場の自由にさせておくべき」ということだったのです。