【重商主義】東インド会社ってどんな会社?

こんにちは。本宮 貴大です。

 東インド会社といえば、中学や高校の教科書で出てくるひときわ異彩を放っていた言葉ですが、一体何をしている会社なのでしょうか。今回は重商主義とは何かについて学びながら、東インド会社について解説していこうと思います。

 

 重商主義とは、その名とおり「商業」を「重視する」という意味ですが、英語では、マーカンタイリズムと呼ばれています。

 この重商主義を、もう少し具体的に言うと、国家が商人に特権(保護)を与え、たっぷりと稼がせてから、国家に多額の税金を納めさせるということです。この特権を与えられた商人達こそが東インド会社の正体であり、今回の記事のポイントでもあります。

 

 この重商主義という言葉は15~17世紀に多用された言葉で、現在では死語となっており、自由主義や資本主義に置き換えられています。

 15世紀といえば、世界は大航海時代の幕開けで、西洋諸国がこぞってアジアやアフリカ、新大陸(アメリカ大陸)に進出していった時代です。それまでの貿易圏(通商圏)が地中海・北海・バルト海から、大西洋、インド洋、そして太平洋と急拡大したのです。これによって、それまで蔑まれてきた商人が時代を牽引する存在になっていきました。

 つまり、それまでの貴族や地主階級が支配する封建社会が根本から揺らぎ、商業資本主義ともいえる新しい社会構造へと変化していったのです。

 

 大航海時代の先陣を切ったのは、航海術に優れていたポルトガルでした。当初は、現地の商取引に参加させてもらう形で、金銀や資源、農作物(香辛料・茶)・繊維製品などを取引していました。やがてスペインというライバルが現れたことで、貿易圏の奪い合いがはじまり、両国はトリデシヤス条約によって、地球の東側(ユーラシア大陸)をポルトガルが、西側(アメリカ大陸)をスペインが掌握することが取り決められました。

 16世紀になると、貿易や商取引はさらに盛り上がり、その分、通貨の役割も増え、貨幣鋳造に必要な金銀の需要が増しました。世界各地で金・銀などの鉱物が発見されると、西洋諸国は金銀を手に入れるために、互いに大型外洋船を送りつけました。植民地獲得競争がはじまったのです。

 

 また、16世紀はカトリック教皇の権威が落ち、代わりに国王の権限が強まり(絶対王政)、「国家」という概念が鮮明になってきた時代でもありました。イギリスでは、1558年に即位したエリザベス1世のもとに全盛期となり、1588年にはアルマダの海戦で、スペインの無敵艦隊を破り、ヨーロッパ世界の覇権を握るようになりました。そんなスペインの権威失墜を機に1581年、スペインからオランダが独立しました。

 ヨーロッパ世界は、「国家」同士が経済力と軍事力をもって対立し、大規模な戦争にも発展しました。

 

「富める国こそ、強力な国である」

 そんな言葉も生まれました。重商主義とは、大航海時代国家主義ナショナリズム)が生んだ国を富ませるための思想だったのです。

 西洋諸国は自国を富ませるために、特定の商人達を集め、会社組織を作らせました。それが東インド会社でした。

 世界で最初に東インド会社を設立したのはイギリスで、1600年、国王のエリザベス1世の出資により、誕生しました。会社には国王の勅許が与えられ、貿易市場の独占が認められました。代わりに東インド会社は儲けた利益を税金として国王に納めました。

 また、1602年にはオランダも国王の勅許により、東インド会社(世界初の株式会社)が設立され、フランスも続きました。東インド会社とは、国からのお墨付きをもらい、外国との貿易を一手に引き受ける独占企業だったのです。

 独占企業であるということは、植民地に居住する人々は、ヨーロッパの産品をその企業から買うしかありません。そうなると、独占企業は非常に高い価格で売ることができます。これによって、金貨や銀貨を効率よく入手しようというのです。

 東インドとは、インド以東のアジアのことを指すため、東南アジアや東アジアにも商館が建てられ、アフリカにもありました。(イスラム教圏は、当時のヨーロッパにとっては脅威だった。)アメリカ大陸には、西インド会社が貿易を担当しました。

 

 では、ここからは重商主義の7つの教義を見ていきながら、今回の記事をまとめていきたいと思います。以下、7つの教義は、重金主義とも呼ばれている思想で、東インド会社(貿易差額主義)に関することや、後の世に現れる帝国主義の思想も既に現れています。

1、自国の金銀の保有量を増やす

商取引は原則、金貨・または銀貨で行われるべし。富める国とは、より多くの金銀を保有する国のことである。貿易相手国からも金貨もしくは銀貨での支払いのみ応じる。(物々交換の拒否)

2、他国より強い軍事力をもつ。

世界の富(金銀)は希少なものである。ゆえに必ず奪い合いが起こる。そのために軍事力、特に海軍力を強めるべし。

3、輸入を増やし、輸出を減らす。

外国からの貴重な原材料には関税を課さず、どんどん輸入する。他方、輸出は制限(売り渋り)し、出来るだけ高い価格になったときに輸出するべし。輸出制限をすることで、効率的に外貨(金銀)を獲得すると同時に、国内の商品(財)が品薄になることからくるインフレ対策もしている

4、植民地を増やす。

植民地を増やすためなら、他国との軍事衝突も辞さない。獲得した植民地に関しては、現地の自給自足を潰し、自国の求める特定(単一)の商品のみを生産させる。

5、植民地との取引は、全て国家(政府)が独占する

外国との貿易市場は、全て勅許を与えられた東インド会社が独占する。

6、植民地との取引は、全て国家が管理・監督する

国内における外国貿易の新規参入は厳しく制限する。現地での商品の生産方法や品質も国家が管理・監督する。

7、勤勉な国民(労働力)を増やす

泥棒や不正を働いた者は、厳しく罰せよ。五体満足(健康)でありながら、浮浪したり、物乞いしたりする者も厳罰とし、国民を‘勤勉な者‘に仕向ける。

 

中世までのヨーロッパでは国王や貴族、地主などの支配者階級が市民の経済活動に強く介入していました。

しかし、中世以降のヨーロッパでは、市民が自由に経済活動を行えるようになり。自由都市自治都市も形成されました。これこそ、現代の資本主義そのものといえます。

しかし、「国家」が形作られ、植民地獲得競争が激化すると、国王や政府はアジアやアフリカにおいて再び経済活動に関与するようになりました。重商主義東インド会社とは、「国家」となったヨーロッパ諸国が他国と対立するようになったことから生まれたのです。