【エピクロス】苦痛や恐怖から逃れる方法とは?

「人生の苦痛や恐怖から逃れる方法は何か?」

それが知りたくて、あなたは、この記事を開いてくれたと思います。

 

今回はエピクロスを祖とするエピクロス派を解説していきます。エピクロス派は、快楽主義とも呼ばれています。しかし、それは単に欲望を満たすだけのような刹那的なものではない。むしろ衣食住の贅沢や性の享楽は必要最低限に抑えるべきとしています。

エピクロスの快楽主義とは、快楽を得ることではなく、肉体的・精神的な苦痛から解放されることを目的とした思想です。

エピクロスは、郊外のエピクロスの園とよばれる庭園を開き、そこで友人らとともに平等で静かな自給自足の生活を送りました。エピクロスは、人間が苦しむのは、「地位や富を欲しがるから」だとしました。しかし、実社会で生きていると、限られた資源の奪い合いが起こるため、否が応でも競争社会に巻き込まれてしまう。

エピクロスは「隠れて生きよ」と述べ、時代や環境の変化に翻弄されないためには、実社会から一歩離れて平等で調和のとれた生活をするべきだと説きました。

そのためには、不必要な贅沢や名誉を求めることをやめ、物事に執着しない「穏やかな心」を持つ必要があるといました。そうすれば、神の国にいるような心の平安が得られると結論づけました。

東洋にも似たような思想があります。仏教では人里離れた寺院で修行をし、悟りの境地に至ります。また、中国の道教でも物事に執着しない仙人思想が含まれています。

 

エピクロスは、「死」についても言及しています。人間にとって最大で、かつ逃れることの出来ない恐怖とは、「死」だと思います。エピクロスは、デモクリトスの原子論を継承しており、人間も原子の集合体でしかなく、それが離散するだけで、何も恐れる必要はないとしました。

今回は、エピクロス派について解説しましたが、私達が苦痛から解放される方法は、「欲しがらないこと」でした。実社会では、欲しくても得ることが出来ないことがたくさんあり、それが苦痛の根源であるというのがエピクロスの主張でしょう。

「隠れて生きよ」とは、引退した老夫婦が家庭菜園などをして、のんびりと過ごしているイメージでしょうか。必要最小限の生活で満足するのは、ある種の「足るを知る」精神なのでしょう。

実は、この「足るを知る」精神が、現代の私達には必要なことだと思います。ここで少し脳内物質の話をします。現代の特に日本人はセロトニンが少ないといわれています。セロトニンは、「充足感」や「癒し」の気持ちが湧き上がってくる物質です。実社会で生きる私達は、何らかの社会的責任を負って生きており、そのプレッシャーから、日本人は「充足感」を感じにくくなっています。

このままでは、私達は肉体的にも精神的にも疲弊してしまいます。数年前に「置かれた場所で咲きなさい」という本がベストセラーになりましたが、セロトニンの分泌を促進することで、感謝や「足るを知る」精神が実現するのだと思います。